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zoom RSS 歌劇「サロメ」  サンフランシスコオペラ

<<   作成日時 : 2009/10/27 14:53   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

先週の土曜の夜、ひさびさにオペラを観た。
ネットで直前に申し込んだ座席は最後列でも、充分にみごたえがあった、すばらしい時間だった。

って・・・実は、このリヒャルト・シュトラウスの原曲は一度も聴いたことはなく(汗)、ただ、「サロメ」という物語に魅力を感じていたからということで、でかけたのでした。

原作は、オスカー・ワイルド。戯曲形式で書かれているこの物語は、学生時代に読んで、心惹かれるものがあった。
え・・・・・・変態でしょうか?わかりません。愛する人の首を踊りのご褒美に要求する若いサロメ。なぜに、私はこんなにサロメが気になっていたのだろう。

ワイルドの原作は聖書から。サロメが求めた「ヨカナーン」が、聖書の「バプテスマのヨハネ」だったと知ったのはいつだっただろう。教会に通うようになって気がついたのかもしれない。私はこのヨハネを、聖書の人物のなかでも大好きなので、とっても複雑な心境。こんなオペラ、観ていいのかなあとも。




え〜〜〜〜〜〜い。芸術だwww

行ってよかった。

演出はいたってシンプル。「宴」の席の場面ながら、小道具はイスぐらいしかない。
まんなかにおおきなライトも円。ここでさまざまな舞台が繰り広げられていく。牢獄に閉じ込められているヨカナーンの場所は、舞台正面の壁に作られた円形の筒。さらにむかって左手にも円形の筒があり、ここからサロメが白い衣装で、ぽ〜〜〜んと躍り出てくる・・・。そんな、人の動きを徹底して見せるような舞台なのか。


サロメの7つのヴェイルの踊りは、圧巻。たいていオペラ歌手は、声のためかふくよかな体型をしている。ならばこのサロメは、演じる歌い手は限られてしまうだろうなあと素人ながら感じる。なにせ歌って、踊る。
今回のサロメを演じたのは、Nadja Michael というソプラノ歌手で、細身でとっても綺麗な女性でした。

見所のひとつであるその「踊り」の場面は、音楽も美しく、妖しい雰囲気がだだよう。色とりどりの布をあやつって踊るサロメは、オペラの舞台ということを忘れてしまうような振り付けとダンスでした。

さらに・・・ヨカナーンの首を手にしたサロメの歌は、またなんともいえず、哀しくあわれに美しく、狂気だだよう、息をのむ場面でした。


ううん・・・・・
サロメは、ヨカナーンを愛してしまう。でもヨカナーンはサロメをののしり(もともとサロメの母親の行いを責めて投獄されていた)、悔い改めを求め、また、救い主が現れるとばかり叫ぶ。この救い主とは、イエスさまのこと。
目もあわせてくれない、自分の手にはいらない男性を、殺させて、その首にむかって語りかけるサロメ。そして、くちづけをするサロメ。

ヨカナーンの肌の白さ、髪の黒さ、そして唇の紅さに魅了されるサロメ。「どうして目をつぶっているの?」と、首にむかって語る女は、狂気としかいえないのに、私はこの物語に若いころから惹かれていた。


え・・・・・・・コワイ女?私も?
私はそんなことは求めません。はっきり言います(苦笑)。

でもね・・・究極のわがままいっぱいのこの求め・・・。人はそんな願いをどこかに秘めているのではないかと思わずにはいられない。ただ、やらない、できない、ここまで追求しない。それだけのことかもしれない。

サロメに惹かれたのか、この物語に惹かれたのか、いまだ私はわからない。
オペラに行くにあたって、あらためて本棚から、ワイルドのサロメを読んだ。聖書を知ってから、あこがれのヨハネがこんな戯曲になるなんてという嫌悪感すら抱きつつも、読後は、はあ〜〜〜っ、と。


嫌悪感はあこがれの世界へ・・・

やっぱり・・・現実逃避???

たまたま土曜の夜にチケット入手して行けたオペラ。初めて聴いたR・シュトラウスの曲も飽きなかった。



新約聖書のこの場面からのワイルドの物語は、また、絵画でもよく描かれる。
有名なのは、ギュスターヴ・モローの、一連のサロメシリーズに尽きると思う。実はこの、モローもまた大好きな画家であったのです。なんでまた???
モローの絵は、一度観たら忘れられない。こちらもまた、美しさと哀しさいっぱい。
昔パリに旅行に行ったとき、ルーブルよりも、パリの街中にあるモロー美術館にでかけたかった。そこは、色彩と美にあふれていて、いまでもわすれられない空間・・・。

サロメ・・・考えてみると私はなぜか、ワイルドの物語、モローの絵、聖書の場面。実にいろいろな形で、心を動かされていた。

なぜでしょう・・・

自分にないものへのあこがれか。いや、私はいまだってサロメという女性を好きなのではない。描いた芸術家達がなにゆえに、こんなに「サロメ」という作品、話に魅せられたかを感じるとき、その魅せられた感性を、私も感じて惹きつけられるとしか言い様がない。

更に・・・ついにここで(?)オペラまで観てしまった・・・。

オペラの感想でなく、サロメという、ストーリーまでオモイを馳せてしまった。

芸術の秋・・・ってことでもないけど、ね。



「踊るサロメ」 ギュスターヴ・モロー

画像


「出現」 ギュスターヴ・モロー

画像



またモローの絵が観たい。あの光と闇と色彩に触れたい。そんなことまで思い出させてもらう・・・




サロメは、聖書では王妃ヘロデヤの連れ子としてえががれ、なまえはでていない。自分の意思ではなく、ヨハネをうとましく思ったいた母親のヘロデヤのたくらみでヨハネをこのようにしてしまう。蛇足ながら・・・。

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なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
素晴らしい感想に、ただただ圧倒されました〜♪
サロメっていう名前は耳にした事はありましたが、こういうお話だというのは初めて知りました。

見てみたいな〜。

私は阿部貞(漢字合ってるかな?)が好きでした。
愛人のイチモツォを切り取って、大事に持ち歩いて逃走した女。

一緒になりたいのになれないって、そんなシュチュエーションこそ、究極の愛って気がします。

狂おしい程の愛情。

満たされてみたいという、渇いた願望。

色んな想いがありますね…ふむむ。
紫織
2009/10/29 14:56
紫織さん、ありがとう。
感想文は、学生時代にすごく苦手で。作文は好きだったのに。感じたことを言葉にするとこわれてしまいそうで。でも年齢とともに、言葉にしておかないと忘れてしまいそうで(苦笑w)

ワイルドの戯曲は岩波文庫であります。すぐ読めてビアズレーの挿絵もすてきです。

うんうん。私も思い出します。阿部定(漢字こっちかな、私もわからない、ググるのもコワイ)。やっぱり嫌悪感が先にくるんだけど、まったくわからないわと別世界に置くこともできなくて。サダさんは両オモイだったのですよね。でも一緒になれない。サロメは見向きもされない。だからこんな要求・・・と違うこといっぱい。それなのに、どっかに共通する愛の表現があるのかもしれないって感じます。

一緒になる・・・って言っても、所詮、相思相愛でも結婚しても、ああ、一緒じゃない、っていつかは感じる瞬間がある。これが限界・・・。ならば、ここまで求めてこそ一緒かと。
究極ってこういうこと、って私も嫌悪感なんてきれいごと(?)言ってないで、認めちゃえ〜〜って気持ちになってきます・・・。

人間の欲望は醜いっていわれるけど、本当はすごく美しいのかもしれない。狂おしいほど、ね。
だから・・・心にSTOPかけて自制するのさ、っておいおい・・・。

きっと、なにをしても所詮、満たされないって。
裏返せばそんな醒めた想い。この世の中では、満たされることは永遠にないのかもしれませんね。

あはは、ワケわからないお返事になってしまいました。ふむむ。
忘れな草
2009/10/31 03:52

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